NPT(核不拡散条約)再検討会議に高田医師参加

2015/07/01

4月25日宮崎を出発し5月1日まで、ニューヨークやワシントンで核兵器廃絶に向けての集会や行進に参加、6,336,205筆の署名を国連の代表に手渡しました。

宮崎からの参加者(国連前広場)

宮崎からの参加者(国連前広場)

趣向を凝らしたコスチュームで国連前の広場まで3㎞を行進
4月26日の午前中は、宮崎県からの4人と佐賀県と神奈川県からの参加者と一緒にユニオンスクエアで署名活動を行いました。署名に応じていただいた方には都城の新婦人の会の方が作ってくれた和風のしおりを差し上げ大変喜ばれていました。
午後はユニオンスクエアの広場で集会が開催され、世界で核兵器廃絶に向けて活動されている方々がスピーチされました。世界中から来られているようでしたが日本人が圧倒的多数でした。集会ではいろいろな趣向を凝らしたコスチュームでアピールが行われ、国連前の広場までの道のりおよそ3㎞を行進しました。交差点ごとに複数の警官が立っていて行進隊を優先的に通過させていました。国連前では署名6、336、205筆を積み上げて国連の代表に手渡すセレモニーが行われました。狭い会場に大勢が集まったため舞台で行われていることは見ることができませんでしたが、会場で準備していった辺野古の新基地建設問題のことをアピールするビラを配りほとんどの人が快く受け取ってくれました。平和運動の活動家には辺野古の基地問題に関心を持っている人が多い印象でした。

しおりとくじゃくの折り紙

しおりとくじゃくの折り紙

被爆体験を聞く集会や医療福祉関係者の集いも参加しました
4月27日は国連内の展示フロアで行われた被爆体験を聞く集会に参加しました。また夕方は日本原水協による国際シンポジウムが開催され、元国連軍縮問題担当上級代表やメキシコ軍縮大使といった人たちによるシンポジウムが行われ、市民運動の取り組みの大切さが強調されました。
4月28日は医療福祉関係者の集いが開かれ、地元の女性医師一人と医療関係の労組の幹部の方のアメリカの状況報告がありました。その後の質疑時間では、アメリカでの核廃絶運動についての質問ではなくオバマケアや麻薬問題についての質問がでました。最後に被爆2世の方が2世としての体験を語る順番でしたが、地元のアメリカ人2人が帰ってしまった後だったので、アメリカ人に聞いてもらいたかったと憤慨されていました。

ホワイトハウス前の集会

ホワイトハウス前の集会

ホワイトハウス前で安倍首相と遭遇?
4月30日、私たち参加者は2時間30分ほどアムトラックに乗ってワシントンへ移動しました。(アムトラックは5月半ばに脱線事故を起こした路線です)ワシントンでは到着後すぐにホワイトハウスに行きました。ホワイトハウス前は公園になっていて、そこでアメリカのネバダ砂漠での核実験による被爆者の方の体験を聞く集会が開かれましたが、突然警官達が大きな声で公園から出て行くようにと叫び始めました。アメリカの被爆者の方が許可をもらっていると掛け合いましたが聞き入れられませんでした。そのため公園の外側の歩道に出て集会を続け、歩道で署名活動に取り組みました。署名活動を終えた頃、大きな黒塗りの車を挟むように警備の車列がホワイトハウスの前の道路を走って行くのが見えました。安倍首相を乗せていたと予測され、ワシントンに来てまで核廃絶運動を妨害されたと憤慨する声が多数出されました。

広島に原爆を投下したエノラゲイ号(実際の飛行機がきれいに展示されていました)

広島に原爆を投下したエノラゲイ号(実際の飛行機がきれいに展示されていました)

組合員さんに感謝とお礼を申し上げます
5月1日、午前中に第二スミソニアン航空博物館へ行きエノラゲイを見ました。夕方からはアメリカ在住の日本原水協の方々が交流会を開催、その地域の教会で発見された戦後すぐに広島の小学生たちが書いてアメリカに送った絵にまつわるアメリカ人と絵を描いた広島の人々との交流を描いた映画の上映が行われました。アメリカの大学教授から「毎年原水爆禁止世界大会に学生を連れて行っている」の取り組みが報告されました。その大学教授は映画監督のオリバー・ストーン氏と一緒に核兵器廃絶、辺野古基地建設反対の運動に取り組んでいる方でした。核廃絶に向けた日本での運動はアメリカの活動家を励まし、アメリカでの取り組みは私たち日本人を励ましている事を実感した集会でした。
NPT再検討会議に参加するにあたり、ご協力を頂いた組合員さんに感謝とお礼を申し上げます。

(宮崎生協病院 内科医 高田慎吾)