ノーモア・ヒロシマ!ノーモア・ナガサキ!なくそう核兵器! 原水爆禁止国民平和大行進が宮崎県内を進む

2017/08/30

1708_3-4

原水爆禁止国民平和大行進は1958年6月、被爆地広島から第4回原水爆禁止世界大会が開かれる東京に向けての行進として始まりました。雨の日も風の日も、夏の暑さの中でも毎年続けられて今年で59年目を迎え、全国47都道府県をつなぎ、毎年約10万人が参加しています。宮崎・長崎ルートは6月23日、えびの市役所を出発し県内を縦断。6月24日(土)には宮崎市役所玄関前で出発集会があり、約40名の宮崎医療生協の組合員と職員をはじめ、多くの団体、市民等約300名が参加しました。
集会ではこの日の団長の宮崎県議・前屋敷えみさんが「ニューヨークの国連本部で開かれた核兵器禁止条約交渉会議の第1会期(3月27日〜31日)に続き、第2会期の今回(6月15日〜7月7日)も日本政府は参加していません。核兵器のない平和な世界を実現することは世界の流れです。先頭に立つべき被爆国・日本政府の態度は許せません。交渉のテーブルに直ちに参加するよう要求します。わたしたちは核兵器禁止・廃絶の〝ヒバクシャ国際署名〞を周りの人たちに広く呼びかけ、草の根の運動を強めて禁止条約をつくり発効させ、核兵器のない世界を実現しましょう」と呼びかけました。
激励の挨拶では、宮崎市の佐伯公博総務部長から「北朝鮮の核兵器実験は許せません。被爆国の国民として核兵器の悲惨さを世界に発信することが私たちの重要な責務です」。つづいて後藤泰樹宮崎市議は「核兵器廃絶へと向かう画期的な年になります。核兵器禁止条約ができると『核兵器は違法』の国際ルールが確立します」「宮崎市の6月議会で戸敷市長も『核兵禁止条約の制定により核兵器のない世界が実現することを切に願う。今後とも他の自治体等と連携しながら核廃絶と世界平和の実現に向けた取り組みを進めたい』『核兵器廃絶のための署名を行うなどの協力をしていきたい』との答弁があった」との紹介に、集会参加者から大きな拍手がありました。

また、宮崎・長崎コースの通し行進者として東京から参加されている山田太枝さん(71才)からは「平和行進を通して核兵器廃絶を願う90歳代から若者までの多くの方々にお会いし、素晴らしい平和の体験をしています。ともすれば悲観的になりがちな世界の将来に希望が見えてくるほどの感銘を受け歩いています。行進が59年続いている歴史にも驚きました。平和への願いは諦めたら終わりです」と、元気の出る挨拶がありました。
この日の行進は今にも降り出しそうな空模様の下、横断幕を先頭にノボリやプラカードを掲げて市役所前をスタート、沿道の市民に核のないより良い世界と平和を呼びかけながら橘通りを北上しました。終点の九州電力宮崎支店前では、「再び被爆者をつくるな」「核兵器をなくせ」「平和のために歩こう」と、シュプレヒコールを行いました。

平和行進は7月2日、延岡市内を行進し、大分県へと引き継がれました。宮崎医療生協から延岡と東部支部の組合員さんが参加しました。
(組織部)