原水爆禁止世界大会in長崎

2019/09/25

 8月7日から9日までの3日間、長崎で行われた『原水爆禁止世界大会』。生協病院入職1年目の方々と、計9名で参加させて頂きました。
長崎に着くと、町のいたるところで「核兵器禁止」のブルーのバッジをつけている方々とすれ違います。「あっ仲間なんだ!」と、親しみをもって笑みを交わしました。
開会総会は、国内外5,000名を超える参加者で、会場は「平和の思い」で一つとなり熱気に包まれました。
2日目の分科会では「映像のひろば」に出席しました。戦後74年、被爆者の高齢化が進む中、核兵器の悲惨さを伝える映像の役割はより重要となっていきます。記録映画、アニメ、ドキュメンタリー、合間に討論と5時間にも及ぶ中身の濃い分科会でした。
3日目は、記念式典の行われる平和公園へ行き、宮崎生協病院のスタッフ、患者さんから託された千羽鶴を捧げました。原爆資料館、爆心地を訪ね、哀しく胸の痛くなる思いでした。
最後の閉会総会では、原爆投下の11時2分、全員で黙祷を捧げました。「微力であっても無力ではない」、「核兵器のない平和な世界」への第一歩を始めようと心に決め、暑い長崎での熱い世界大会を終えました。活動している国内外の多くの方々との出会いは、実に刺激的なものでした。また3日間共に過ごした若い方々からも、多く学ばせて頂き、将来への希望を感じることができました。
大会に参加するにあたり、多くの方々の支援と応援を頂きました。ありがとうございます。深く感謝いたします。

(佐土原支部 藤﨑路子)

 8月7日から9日の3日間、原水爆禁止世界大会(以下、大会)が長崎で開催され、宮崎医療生協から研修医2名、看護師2名、介護福祉士1名、事務2名、組合員さん2名が参加しました。9名の内、6名は今年4月に入職した職員です。宮崎医療生協は毎年、広島または長崎の大会に参加し、平和を守る運動に直接肌で触れる貴重な経験をしています。
1945年8月9日午前11時2分、広島続きに長崎の北部(現在の松山町)に原子爆弾が投下され、一瞬にして、数万人の人々が命を落としました。このような悲惨な歴史を持つ長崎で核兵器を使用しない、核兵器を廃絶する意志を持った人たちと平和運動に参加することを通して、核兵器の非人道性、戦争の悲惨さを認識しました。大会では日本のみならず、オーストリアをはじめベネズエラ、メキシコなど世界各国から核の廃絶を求め、開会総会には全体で約5,000人が参加しました。
現在、核兵器廃絶を求めて2017年7月に採択された核兵器禁止条約は、発効に必要な50か国の半分、25か国です。しかし、核廃絶に向かっている世界の流れに反し唯一の被爆国である日本は、まだその条約に批准していません。私はこの現状を今回出会った多くの仲間と協力をすれば必ず成し遂げられると感じました。閉会式で高校生が述べた「私たちは微力かもしれないが無力ではない」という言葉を胸に、令和の時代に核兵器が世界から廃絶し、今回出会った仲間と喜び合う日を目指し行動します。
新入職員も医療生協で働く職員として地域住民の願いに応え「医療と介護を展開していくためにも平和はなくてはならないものだ」と改めて学びました。最終日には、職員および組合員さん、患者さんの願いが込められた千羽鶴を平和記念公園に供え、核兵器の無い平和な世界を祈りました。

(宮崎医療生協事務 黒木貴洋)